2009年9月24日木曜日

7年ぶりのハリ・ラヤ

ロー先生が一回ゼミで日本とイギリスのクリスマスと正月の過ごし方が逆だ!」と言った。日本のクリスマスはデートと遊ぶ時期で正月は家族と一緒に過ごす。一方、イギリスではクリスマスは家族で一緒に過ごして正月はパーティーなどやる。異文化って面白いね。

ブルネイはイスラム教の国だからクリスマスと正月は特別の日じゃない。その代わり、ブルネイはハリ・ラヤという時期がある。ハリ・ラヤは「祝う日」という意味でラマダーンが終わったことを祝う日なんだけれども、祝うのが3日間ぐらいです(1日じゃ足りないかな?ま、一ヶ月頑張ったから)。基本的に1日目と2日目は親戚の家に行って、そのあと友達などと遊ぶ。で、俺の家族では週間で一日目お父さんの兄弟の家族と親戚の家に行くんだ。下の写真は最初に行った家:お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのうち。写真の中はいとこの集合写真のはずだったが人が多すぎて入れなかった。結局性別で分けて撮った。


今年初めて知ったけど、お祖母ちゃんはブルネイの王様のいとこらしくて毎年30万円ぐらいお金もらってる。俺が王様とつながりがあるのが前から友達と冗談してたけど本当だとは思わなかった・・・ って言っても俺みたいな人はブルネイでたぶん数が多いだろうな。



上の写真は俺の一番若いいとこだ。いや、その子供だ。年齢はわかんないけど、去年俺が帰った時その子のことを全く聞いてなかった。その子はまだ自力で歩けないんだし、まだ2歳もなってないだろう。その子を持つ女の子は母じゃなくて別のいとこだ。


日本ではイルミネーションは冬で付けるもので、ブルネイも同じだ。だが、ブルネイ冬がないからその代わりハリ・ラヤの時つける。上の写真は俺のうちで賑やかな二日目の写真だ。弟の彼女が来た時、彼女のお兄さんもいたけど、会ってみたら彼は俺の中学校のクラスメイトだった。しかも、偶然彼は最近スポーツ学校の先生なってお兄さんの後輩になったから、お兄さんも知り合いだった。ブルネイやっぱちっちゃい。

今日はそれまでだな。今度の記事はたぶん就活の話だろうな。早く仕事見つけて日本に行くお金集まらないと皆と会えないし。

2009年9月16日水曜日

カメとでんでんIn Brunei

昨日まで、早稲田の友達2人がブルネイに遊びに来ました。海外の友達が地元に遊びに来るのが初めてだった。

っていっても、俺が自分であまり案内できなかった (-_-) 俺がブルネイで一番好きなのは「自然」だけど、ラマダーンのうちにハイキングなどをやる体力がない・・・ 


でも、せっかく来たから出来ることだけやろう!って思って、まずはボートを乗って「カンポン・アイル」(訳:水町) というところを回ってました。前の記 事で「ブルネイで車がないと生活できない」ということを言ったけど、この町では船がないと生活できない。学校、モスク、警察官、消防署、墓などが川の上にあっ て、船以外アクセスはできない。おじいさんからその生活の話を良く聞いたが今日はじめて見られた。
そのあと、その町の歴史を伝える博物館に行きました(もちろん、船で行った)。その博物館の前で他のアジア系の観光者がいた。亀井が「あの人たち日本人なのかな」と言ったら、俺が「そんなわけないだろう!ハハハ」と返事して、実はやはり日本人だった。詳しくは2年前ブルネイ国立大学から早稲田に交換留学したマリリンさんが日本ブルネイ交友会の一員で、その時北海道の大学生をブルネイに案内してた。話しかけられてビックリした。

ラマダーン中博物館などは早く閉館するから、そのあと一応俺のうちでゴロゴロした。夜はまだイルミネーションを見に行った。上の写真はその一つ。もうすぐブルネイの日本の初詣みたいな家族で一緒に過ごす休みがあって、それを期待するためにブルネイの伝統的な一家のイルミネーション展示をしていた。人形のサイズはもちろん大きめ。


そのあと、金色が光ってるニューモスクに行った。やっぱ夜のほうがきれい。


次の日、またまたブルネイ川で船を乗った。今回は古いマングローブでサルを見に行った。運が良くて、サルの一家を見えた。ワニも期待してたけど、見られなかった。話し聞くと、前日他の客がサルとワニのケンカを見られたから、残念だった。



やることがなくなったから、一応家に帰った。そこで、亀井たち俺のブルネイの生活を試した: ゲームに、猫に、バスケに、筋トレ。上の写真は亀井がダンスダンスレボリューションをやってみた。そのあともサンドバッグを殴ったり、筋トレしたりした。亀井たちはなぜ俺がブルネイに帰ったら家から出ない理由が分かった。家でできることが十分あって家でなくても良いし。

最初から、今月はブルネイに観光するのが一番最悪な時期だと思ったけど、意外といろいろ出来た。彼女たち来年まだ来るみたいで、今回はちゃんと良い観光できるように企画しないといけないけど、楽しみー

今回の記事は・・・ハリ・ラヤ(ブルネイの最大祭)かな?

Az

2009年9月6日日曜日

記念会

昨日、6年ぶりの親戚の集まりでした。っていうか母親の方の親戚だけだった(全員なら200人くらいいるかも)。 たのしいことだが、この集まりは我らの中に若死にしてしまった人を記念する集まり。もちろん、俺の兄もその一人だ。この集まりは毎年やってるけど留学のために参加できなくて、お兄さんがいなくなってから初めて参加した。

集まる理由は悲しいけど、やはり生きてる親戚と会えるのもうれしいことだ。俺も久しぶりに親戚に顔出してるから悲しい顔見せたくないしね。

俺と会ったは3つの種類あった:

1. アズリ久しぶり!いつ帰ってきた? (仲良い親戚)
2. おお!元気? (久しぶりに会ったけど、どうでもいいと思ってる親戚)
3. おおっ!この魚うめえ! (俺が6年間日本にいたことが気づいてなかった親戚)

・・・色んな親戚がいるね

でも、仲良いいとこが6年すごい変えた。一人がいつの間にかイマームになった (イスラム教の高僧)、2人海外に留学して、あと一人自分の会社作った。さすが、アズリの家族がすごいな。

親戚と会うのがうれしいが、それより嬉しかったのが6年ぶりに伝統的なブルネイ料理を食べた(俺ヒドイよね)。日本に長くいてもう辛いものに弱くなったことを気づいた(日本の友達の中に俺が強いほうだけど)。「サンバル」という魚のソースが・・・メーヤウの5★ぐらいの6年ぶりの辛さを味わった。本当にウエルカム・ホームって気持ちだった。

今朝、家にあるココナツの木のココナツミルクを美味しく飲んだ。日本にいる時、一回ズッキーニとジェスとシンガポール料理に行ってココナツミルクを頼んだが、味が薄くてあまり美味しくなかった。その時家のココナツミルクをすごく飲みたかった。
そこで思った:

故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。
あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。
だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。
ユーゴ

これが俺が一番好きなフレーズです。この文によると自分がどんな人だろうと思った。長く日本とブルネイにいて、どっちでも同じように故郷と思うが、ブルネイでも俺が知らなくて理解できない文化があるからブルネイも日本も異郷と思ったことがある。でも、ブルネイに帰って家のココナツが美味しいと思うのが、俺がまだ甘いか・・・ま、もしかして考えすぎだけかもしれない(家のココナツミルクは普通に美味しいだけかもしれない)

次の投稿はたぶん亀井たちがブルネイに遊び来るのはなしだな。海外の友達が初めてブルネイに来るんだ。楽しみ~けど、早くても俺が免許をとってから来て欲しかった (>_<) たぶんお母さんが色んなところに送ってくれるがちょっとプライドが痛い

ーAz